戦歴

弊部の戦歴をご紹介いたします。

History of Keio Baseball Since 1888

東京六大学野球リーグ優勝40回(春20,秋20)最新の優勝 令5年(2023)秋
全日本大学野球選手権優勝昭27年(1952)
昭38年(1963)
昭62年(1987)
令3年(2021)
明治神宮大会優勝昭60年(1985)
平4年(1992)
平12年(2000)
令元年(2019)
令5年(2023)
部長監督主将記事
明21(1888)     三田ベースボール倶楽部組織
明22(1889)      
明23(1890)      
明24(1891)      
明25(1892)     慶應義塾体育会創設
明26(1893)      
明27(1894)      
明28(1895)      
明29(1896)      
明30(1897)      
明31(1898)      
明32(1899)      
明33(1900)山口大造 渡辺万治郎   
明34(1901)山口大造    静岡・関西へ初の遠征
明35(1902)山口大造     
明36(1903)名取和作 宮原 清  第1回早慶戦
明37(1904)名取和作 宮原 清   
明38(1905)名取和作 時任彦一   
明39(1906)名取和作 桜井弥一郎  早慶戦中止
明40(1907)名取和作 桜井弥一郎   日本で初めて有料試合を行う
明41(1908)堀江帰一 高浜徳一  ハワイへ初の海外遠征
明42(1909)堀江帰一 高浜徳一   
明43(1910)田中萃一郎 神吉英三  直木松太郎野球規則を翻訳
明44(1911)田中萃一郎 神吉英三
佐々木勝麿
  第1回米国遠征
大1(1912)田中萃一郎 佐々木勝麿
森 茂樹
   
大2(1913)田中萃一郎 菅瀬一馬   
大3(1914)田中一貞 菅瀬一馬  慶早明三大学リーグ発足
米国遠征
大4(1915)田中一貞 高浜 茂  全国中学優勝野球大会始まる(現高校野球選手権)
大5(1916)田中一貞 三宅大輔  全国中学野球で普通部優勝(監督:腰本寿)
大6(1917)田中一貞 三宅大輔  法大加入、四大学リーグ発足
大7(1918)田中一貞 (春)平井卯之助
(春)沼田久男
(秋)松田恒政
   
大8(1919)田中一貞 森 秀雄  満州遠征
大9(1920)田中一貞 森 秀雄   
大10(1921)小林澄兄 高須一雄  立大加入、五大学リーグ発足
大11(1922)小林澄兄 高須一雄   
大12(1923)小林澄兄 新田恭一  満州遠征
大13(1924)小林澄兄(直木松太郎)桐原真二  上海遠征
甲子園球場完成
大14(1925)小林澄兄三宅大輔山岡鎌太郎 3位六大学リーグ発足
大15(1926)小林澄兄腰本 寿青木修平優勝2位神宮球場完成
武蔵新田にグランド,合宿所完成
神宮球場完成,摂政杯下賜
昭2(1927)小林澄兄腰本 寿原田安次郎優勝2位(春)浜井武夫首位打者
応援歌若き血完成
都市対抗野球始まる
昭3(1928)小林澄兄腰本 寿岡田貴一渡米
欠場
優勝10戦無敗優勝
米国遠征
昭4(1929)小林澄兄腰本 寿岡田貴一優勝2位(秋)山下実首位打者
初の天覧試合(早慶戦)
台湾遠征
リーグ戦20連勝新記録
昭5(1930)小林澄兄腰本 寿岡田貴一優勝2位(春)宮武三郎首位打者
宮武三郎7本塁打新記録(当時)
昭6(1931)小林澄兄腰本 寿梶上初一優勝4位 
昭7(1932)小林澄兄腰本 寿牧野直隆優勝2位(春)勝川正義首位打者
昭8(1933)恒松安夫腰本 寿牧野直隆 4位(秋)リンゴ事件(*1)
昭9(1934)恒松安夫腰本 寿水谷則一 5位 
昭10(1935)恒松安夫 土井寿蔵5位4位 
昭11(1936)恒松安夫森田 勇勝川正義4位5位プロ野球1リーグで始まる
昭12(1937)恒松安夫森田 勇岡 泰蔵3位5位満州遠征
昭13(1938)浅井 清森田 勇(春)灰山元治
(秋)桜井寅二
4位2位南洋遠征
昭14(1939) 森田 勇楠本 保2位優勝 
昭15(1940) 森田 勇楠本 保1位2位(春)慶明立3校優勝預かり
(秋)根津辰治首位打者
ハワイ遠征
文部省野球弾圧
昭16(1941) 森田 勇高木正雄4位2位(春)大館盈六首位打者、
稲葉誠治ノーヒットノーラン
日吉へグラウンド移転
文部省指導理念を明示
昭17(1942)平井 新森田 勇(春)宇野光雄
(秋)山村吉隆
2位5位(春)別当薫首位打者、.500で最高打率(当時)を記録
昭18(1943)平井 新森田 勇(春)山村吉隆
(秋)阪井盛一
  六大学野球連盟解散(*2)
最後の早慶戦
昭19(1944) 森田 勇    
昭20(1945)浅井 清森田 勇    
昭21(1946) 宇野光雄別当 薫優勝2位六大学野球連盟復活
天皇杯下賜
昭22(1947)田中荊三上野精三(春)大島信雄
(秋)加藤 進
優勝優勝(春)久保木清首位打者
昭23(1948)石丸重治上野精三久保木清4位4位(秋)平古場昭二:
ノーヒットノーラン
昭24(1949)石丸重治阪井盛一高橋久雄5位優勝(春)加藤雄司:ノーヒットノーラン
(秋)山村泰弘:首位打者、シーズン30安打
昭25(1950)石丸重治阪井盛一(春)徳丸幸助
(秋)山村康弘
3位5位(春)前田祐吉:
防御率0.00(昭24秋~昭25春)
山村泰弘22試合連続安打
早慶天覧試合(2回目)
プロ野球2リーグに,初の日本シリーズ
昭26(1951)石丸重治阪井盛一平古場昭二2位優勝 
昭27(1952)石丸重治阪井盛一松本 豊優勝2位第1回大学選手権優勝
(春)福沢弘行・松本豊首位打者
昭28(1953)石丸重治阪井盛一河合貞雄3位4位 
昭29(1954)石丸重治阪井盛一山下新造2位3位(春) 日野美澄首位打者
藤田元司ノーヒットノーラン
昭30(1955)石丸重治阪井盛一佐々木信也3位3位(春)衆樹資宏三冠王
藤田元司通算31勝
昭31(1956)石丸重治稲葉誠治衆樹資宏4位優勝(秋)中田昌宏首位打者
昭32(1957)石丸重治稲葉誠治黒松俊一郎2位5位 
昭33(1958)石丸重治稲葉誠治巽 一2位4位(春)赤木健一首位打者
昭34(1959)山本 登稲葉誠治高橋捷郎4位3位 
昭35(1960)山本 登前田祐吉渡海昇二3位2位(秋)早慶6連戦
昭36(1961)山本 登前田祐吉安藤統夫2位3位(春)榎本博明首位打者.517で最高打率(当時)を記録
昭37(1962)山本 登前田祐吉田浦正昭3位優勝(春)本郷良直首位打者
(秋)榎本博明:首位打者(2度目)
昭38(1963)山本 登前田祐吉西岡浩史優勝2位大学選手権優勝(2回目)
(秋)西岡浩史首位打者
昭39(1964)山本 登前田祐吉佐藤政良2位優勝(春)渡邉泰輔 完全試合
昭40(1965)島崎隆夫前田祐吉江藤省三4位3位小泉信三先生始球式
昭41(1966)島崎隆夫近藤良輔吉原 裕6位5位 
昭42(1967)島崎隆夫近藤良輔大滝隆太優勝4位大学選手権準優勝
(秋)宇賀山徹首位打者
昭43(1968)島崎隆夫榊原敏一島村 聖3位4位明治神宮大会始まる
昭44(1969)島崎隆夫榊原敏一成田憲明4位3位(秋)松下勝実首位打者
昭45(1970)島崎隆夫榊原敏一上岡誠二4位3位 
昭46(1971)島崎隆夫榊原敏一松下勝実2位優勝(秋)松下勝実:首位打者(2度目)
合宿所現在位置に移転
昭47(1972)島崎隆夫大戸洋儀萩野友康優勝優勝3季連続優勝
大学選手権準優勝
昭48(1973)島崎隆夫大戸洋儀山下大輔4位5位(春)山下大輔首位打者
昭49(1974)島崎隆夫大戸洋儀中島潤一5位3位 
昭50(1975)島崎隆夫大戸洋儀(春)後藤寿彦
(秋)平野 仁
3位2位(春)後藤寿彦三冠王
昭51(1976)十時巌周福島敦彦髙多倫正4位3位 
昭52(1977)十時巌周福島敦彦永嶋滋之6位3位(秋)清水健五首位打者
昭53(1978)十時巌周福島敦彦堀場秀孝3位2位 
昭54(1979)十時巌周福島敦彦中村 哲3位3位(秋)青島健太:シーズン22打点
昭55(1980)十時巌周福島敦彦青島健太4位5位 
昭56(1981)十時巌周福島敦彦小林 宏6位5位小林宏通算62盗塁
昭57(1982)十時巌周前田祐吉寺尾勇一5位4位 
昭58(1983)十時巌周前田祐吉水野英利3位2位米国遠征
昭59(1984)十時巌周前田祐吉斉藤頼太郎4位3位ロサンゼルス五輪金メダル,鈴木義信コーチ,上田和明参加
昭60(1985)十時巌周前田祐吉遠藤 靖3位優勝57年ぶり無敗優勝
明治神宮大会優勝
(春)相場勤3打席連続HR
昭61(1986)斎藤和久前田祐吉石井章夫2位3位(春)加藤健首位打者
(秋)猿田和三首位打者
米国遠征
昭62(1987)斎藤和久前田祐吉猿田和三優勝5位大学選手権優勝(3回目)
昭63(1988)小田英郎前田祐吉堤 辰佳2位2位(春)大森剛三冠王
志村亮5試合53回連続完封
志村亮通算31勝
ソウル五輪銀メダル,鈴木義信監督,鈴木哲,大森剛参加
ブラジル遠征
平1(1989)小田英郎前田祐吉森山健一4位4位(春)高芝秀長首位打者
(秋)若松幸司:ノーヒットノーラン
米国遠征
平2(1990)小田英郎前田祐吉橋口博一3位3位 
平3(1991)小田英郎前田祐吉大久保秀昭優勝優勝小檜山雅仁五輪予選
豪州遠征
平4(1992)小田英郎前田祐吉印出順彦5位優勝明治神宮大会優勝(2回目)
バルセロナ五輪銅メダル,野端啓夫コーチ,小桧山雅仁参加
平5(1993)小田英郎前田祐吉山田将史4位4位(秋)山下圭首位打者
平6(1994)小田英郎後藤寿彦飯端貴志3位3位(秋)丸山泰令三冠王,年間11本塁打(新記録)
早慶天覧試合(3回目)
平7(1995)小田英郎後藤寿彦高木大成4位3位高木大成五輪予選で活躍
米国遠征
日吉グランド人工芝化
平8(1996)小田英郎後藤寿彦加藤貴昭5位4位(春)高橋由伸三冠王
アトランタ五輪銀メダル,大久保秀昭参加
平9(1997)丸山 徹後藤寿彦高橋由伸優勝2位大学選手権4強
高橋由伸通算23本塁打
日吉グラウンド人工芝化
平10(1998)丸山 徹後藤寿彦高安健至2位3位(春)佐藤友亮首位打者
ブラジル遠征
平11(1999)丸山 徹後藤寿彦山口太輔3位5位 
平12(2000)丸山 徹後藤寿彦山上真吾4位優勝明治神宮大会優勝(3回目)
台湾遠征、米国遠征
平13(2001)丸山 徹後藤寿彦三木 仁5位優勝(秋)喜多隆志:首位打者(.535)
平14(2002)山崎元(春)
前島信(秋)
鬼嶋一司北原 諭5位5位(春)長田秀一郎:1試合21奪三振
平15(2003)前島 信鬼嶋一司田中雄太3位3位早慶戦100周年 米国遠征
平16(2004)前島 信鬼嶋一司中村太郎2位優勝明治神宮大会準優勝
(秋)中村太郎首位打者
アテネ五輪銅メダル,高橋由伸参加
平17(2005)前島 信鬼嶋一司杉山 淳2位5位リーグ戦通算1000勝達成
平18(2006)前島 信相場勤金森宏徳3位3位(秋)岡崎祥昊首位打者
米国遠征
平19(2007)前島 信相場勤宮田泰成3位3位加藤幹典通算30勝
通算371奪三振
平20(2008)前島 信相場勤相澤宏輔3位2位(春)小野寺和也:首位打者
ブラジル遠征
平21(2009)前島 信相場勤漆畑哲也4位2位(秋)小野寺和也:首位打者(2度目)
米国遠征
平22(2010)前島 信江藤省三湯本達司優勝2位(春)竹内大助:ノーヒットノーラン
大学選手権4強
(秋)早稲田大学と優勝決定戦
平23(2011)岡浩太郎江藤省三伊藤隼太優勝5位大学選手権準優勝
平24(2012)岡浩太郎江藤省三山﨑錬3位3位 (春)阿加多直樹:首位打者
平25(2013)岡浩太郎江藤省三堀野真5位4位(秋)加嶋宏毅:ノーヒットノーラン
創部125周年 早慶戦110周年
日吉グラウンド人工芝張替
平26(2014)  岡浩太郎 竹内秀夫 佐藤旭 優勝 4位(春)加藤拓也:最優秀防御率
平27(2015) 岡浩太郎 大久保秀昭 横尾俊建3位3位(秋)連盟史上初3者連続本塁打
(横尾俊建・谷田成吾・山口翔大)
横尾:4試合連続本塁打(当時最多タイ)
加藤拓也:最優秀防御率(2度目)
平28(2016)岡浩太郎 大久保秀昭 重田清一4位2位 米国遠征
(秋)加藤拓也:ノーヒットノーラン、300奪三振
山本瑛大:首位打者
平29(2017)岡浩太郎 大久保秀昭 照屋塁2位優勝(春)連盟史上初1試合2本満塁本塁打
(清水翔太・柳町達)
(秋)岩見雅紀:連盟史上最多年間本塁打12本、5試合連続本塁打(最多)
清水翔太:首位打者
佐藤宏樹:最優秀防御率
平30(2018)岡浩太郎大久保秀昭河合大樹優勝3位大学選手権4強
平31/令1(2019)岡浩太郎大久保秀昭郡司裕也2位優勝(秋)郡司裕也:首位打者・三冠王
明治神宮大会優勝(4回目)
台湾遠征
令2(2020)岡浩太郎堀井哲也瀬戸西純2位2位米国遠征
令3(2021)岡浩太郎堀井哲也福井章吾優勝優勝(春)森田晃介:最優秀防御率 
大学選手権優勝(4回目)
明治神宮大会準優勝
令4(2022)岡浩太郎堀井哲也下山悠介2位3位(春)橋本達弥:最優秀防御率
(秋)萩尾匡也:首位打者・三冠王
令5(2023)加藤貴昭堀井哲也廣瀬隆太3位優勝(秋)栗林泰三:首位打者・三冠王
明治神宮大会優勝(5回目)
令6(2024)加藤貴昭堀井哲也本間颯太朗3位5位(秋)渡辺和大:最優秀防御率

【注釈】

*1 昭和8(1933)年10月22日早慶戦3回戦 六大学野球史上の汚点“リンゴ事件”

リンゴ事件に関しては早慶両サイドで捉え方が異なりますが、 昭和11年度勝川正義主将が”リンゴ事件の思出”と題したコメントを 『慶應義塾野球部史』に寄せています。(以下抜粋)

“最終回に水原君と僕とが守備につこうと小走りに三塁コーチャーライン近くを通った時、そこにリンゴの噛りさしが落ちていた。 勿論これは三塁側早稲田応援団の中からグランドに投げ込まれたものだ。 水原君はそのリンゴを拾って早稲田応援団の方へアンダースロー気味で、塀の下へ片付けたのであった。 勿論其時はなんでもなかった。私もそれを何気なく見ていた。これが大事件になろうとは其時考えもしない事だった。試合が塾の逆転勝で終り一同ベンチに引上げて来た時、突然数拾名の早大学生がスタンドに下りて来て、水原君に「謝れ謝れ」と叫びながら塾のベンチへ走って来た。 我々選手は何が起ったのか解らず呆然としていたが、やがて、水原君が早大応援団席めがけてリンゴを投込んだのだから謝れと云っているのだと分かった。”

*2

第二次世界大戦のために、昭和18年に六大学野球連盟は一時解散します。当時の文部省は「野球は敵性スポーツなり」として弾圧、六大学リーグの解散の厳命、甲子園の全国中等野球大会も中止となりました。

【参考文献】

『神宮へ行こう』  松尾俊治 著 慶應義塾出版会 2000
『慶應義塾野球部史』  慶應義塾大学野球部
※当ページは著者の了解のもと作成しております。