慶應義塾大学時代は外野手として活躍し、卒業後は社会人野球の三菱自動車川崎で4年間プレー。
現役引退後はマネージャーを務め、1994年に三菱自動車岡崎の創部に伴い転籍。コーチを経て1997年に監督に就任すると、またたく間にチームを都市対抗野球・日本選手権の常連となる常勝軍団に育て上げ、多くのプロ野球選手を輩出した。
2005年からはJR東日本に移籍し監督に就任。2009年から10年連続で都市対抗野球大会 に出場し、準優勝を4度経験。2011年にはチームを初の優勝に導いた。
2009年、2012年〜2014年には社会人日本代表コーチを兼任。