はじめに、日頃よりご尽力くださる慶應義塾大学、三田体育会、三田倶楽部、OB、OGを含む関係者の皆様、應援指導部の皆様、そして応援してくださる全ての皆様に深く感謝の念を申し上げたいと思います。
現在慶應義塾体育会野球部監督を務めております大久保秀昭です。
就任し2年目のシーズンが過ぎようとしています。
プレーヤーから指導者になり13年目となります。プロ、社会人、そして学生と様々な経験をしましたが、未だ慣れる事はなく、自分自身の野球への思いはまだ、精進の日々にあります。
先輩方が築き上げて来られた部の歴史を継承しつつ
「慶應義塾体育会野球部とは」
その名を胸に神宮の舞台に立つに相応しい者であるかを常に問いながら、塾指導者として、又、塾部員だからこそ、与える印象、生まれる責任は大きなものだと実感しています。
闘い方にこだわりを持ちながらも学生達との日々は新鮮な学びも多く、より柔軟に、そして、あらゆる場面での展開と選手一人一人の個性と底力を徹底的に洗い出し信じる事。時間の長短だけで無く、いかに自分自身の野球感を指導=伝える。と言うこと。
まずは野球を敬い、今も日々、見 、聴き、考えながら選手達と学び、色々な展開を与えてくれる日々に感謝の念を持ち携わらせて頂いています。
同じ一年は無く、安定も安泰も全て年頭、いや、毎月、毎日リセットし挑み続けています。
毎年チームスローガンを考えるにあたり心がけるのは、それを全員が理解し、同じ方向を向けるかどうか。
指導者として思う事は、よそ見をしている選手がいないかどうか。
思うようにいかない時も、何を信じ、どこを目指し、何を成し遂げたいのか。
気をつけなければいけないのは、自己満足になってはいないか?と言う事。
小学生の頃どうしたら遠くに飛ばし上手なバッターになれるのか?又、どうしたら速いボールを投げられるのか?全ての始まりはここからではないだろうか。
単純明快なその疑問の答えは…とにかく素振りをする事。とにかく走って投げる事。
言われてどれだけ振ろうとも、また走り続けていてもそれがどこにつながっているのか、何がいいスイングなのか、何がいい投げ方なのか、わからないかもしれないがそれを続けていれば必ずどこかでピントが合う時が来る。
そこから自分で考え、工夫し、他のプレーヤーを見る目が変わり、偉大なプレーヤーの技を上手く盗み、自分なりの芯の通ったオリジナルを作り上げることにあると思う。
上手になるもならないも自分自身で答えを出すからこそ身になり、自分のものとなる。
繰り返す毎日が意味のあるものだと捉えられれば必ず進歩はある。
又、迷う選手がいた場合、それを指導者として、感情でなく、客観的に捉え的確にアドバイスできる余裕を持つことも大切だと思う。
又、野球をするばかりでなく、見る。と言うこともとても大切にしている。
映画でも二度目、三度目でわかって来ることや、新しい発見があるように、同じ試合のビデオを二度、三度、四度と繰り返し見るたびに必ず発見がある。
一度見ただけでは偶然やまぐれに思える試合展開やプレーも何度も見ることで、いろいろな状況やタイミングを感じ、考え、計る事で見えて来る隙がある。
そして 指導者として携わった選手達のその先もいつも考えている。
細かな所までは言わないが時間はいつも足りない。
いつも思うのは、僕に会えて良かったと選手に思ってもらえるかどうか。自分の人生の中での出会いは限られているからこそ、新たな出会いを新鮮に捉え、慣れることのないように挑む。毎年、毎年出会う選手達は家族のように感じ、出来るだけの不安を取り除いてあげたいと思う。
ワンマンを貫くつもりもないが確固たる自分の中で今も作り続けている野球感がある。
それは僕自身を育ててくれた指導者の方々への大いなる尊敬と感謝でもある。
大切な事は
野球を楽しんでいるかと言う事。
野球が好きかと言う事。
あらゆる場面で自分の絶対が、崩れる瞬間があっても、それを瞬間的に考えて最善に切り替えることができる柔らかさが有るかどうか
又、指導者は出来事を受け止めた上で、的確かつ迅速にアドバイスできる事。
選手に倣うのでなく寄り添う気持ちで向き合うこと
個人競技でなくまずは団体を重んじるからこそ
一人一人の責任感と調和があることは入部当初からあって当然で
部員は野球を通して、塾生としての責任と誇り、また学びを忘れず体得した上で社会に羽ばたいて欲しいと願う。
野球は選手達一人一人にとって自分の人生を豊かにするための手段
野球というものに振り回されるのでなく、野球というものがあったからこそ自分の人生が豊かになったと思えるように指導していきたいと思う。
2016年11月
大久保秀昭